「平成の鬼平」を読んで

日本がかかえているいろいろな問題、とくに経済のことについては専門的な 知識もないので、くわしいことはわかりませんけれど、しかし新聞やテレビ などから日本の金融機関が俎上に載せられ批判を浴びていることは承知して います。

「ごきぶり日記149」 を読んでいます。そこでは、「平成の鬼平」と題して 胸のすくようなことを述べられています。わたしはもともと「鬼平犯科帳」 などの時代物が好きで、よくみることがあります。今回のごきぶり日記には、 鬼平に関することが載っていましたので、おやッと、目を引きました。
それはわたしが年老いているからでしょうか、テレビに出てくる武士家族や 下町に暮らすひとびとの会話や表情などがたまらなく好きで、時代のぬくもり を肌に感じてひとり楽しんでいるからです。

「ごきぶり日記」には日本の金融機関のこと、いや「銀行のみならず自分だけが 儲かればよいというエゴの充満した社会になってしまった」と嘆いておられます。 わたしもそのような想いをまえから抱いています。
日本は島国で山岳が多くて利用できる面積は少ないうえに、人口が過密なので 地価が年を追うて高くなっていくのは承知しています。
しかし、昭和40年ころからはじまった日本の地価高騰は異常過ぎます。 ほんとうに異常です。

これが資本主義の経済現象でしょうか?わたしにはわかりませんが、工場を つくるために地方の土地を買うと、つられてまわりの農地や山林までが高騰し、 その会社は労せずして含み資産がふえました。つい一部を切り売りする場合が 多く、そのおかげでその会社は大儲けをいたしました。

そのころから土地さえ持っていれば金儲けができるという、地価心理が、一時は 日本国民だれもがもつようになりました。そのなかで信用という看板の伝統ある 銀行が地価心理にすっかり便乗して「ぜひ当銀行は、一番の儲け銀行にならねば ならぬ」ことを考えたひとが銀行のなかにおったようです。そのひとたちが、 いま、「平成の鬼平」の裁きを受けているのだろうと考えています。

わたしは正常な資本主義というものは、たとえば、製品を企画し、物をつくった り、売ったりして正常な利潤をあげるということが基本であり倫理であると 信じています。
「日本じゅうを徘徊している地価心理が日本をほろぼします。日本人に、働く 希望をうしなわせます」と、秀才をあつめている銀行が、なぜ警告をしかったの でしょう。おそらく、一時の迷いだったろうと信じたいのです。
一時は誰もが持った地価心理という"世間の気分"が銀行そのものを迷わせたのに 違いないと思います。おそらく、名誉と信用をとりもどそうとしている銀行 関係者は、そのことを強く感じているに違いありません。

                           加藤 長治(VZQ01571)