ごきぶり日記296
ユビキタスで幸せか
旧聞も旧聞で、もう半年も経ってしまいましたが、3月28日の日経新聞に
「ユビキタス情報社会」という記事が載っていた。
「生活空間にあるものすべてにコンピュータチップを組み込み、それぞれが互いに
通信する未来のコンピュータ技術による情報社会」ということで、東京大学の坂村
教授が1980年代に基本概念を提唱、90年代始めに米ゼロックス研究所がラテン語で
「どこでも」を意味する「ユビキタス」という言葉で呼んだということで勿論、
最近では技術の流れ、常識になっているようです。
チップを組み込んだ製品同士で情報をやりとりするので、
@ 電話を使って無くした財布にどこにあるか位置情報を伝送させる。
A 道に迷ったら周囲のビルに接続して住所を調べる。
B 外出前にビルの屋上と通信して、雨が降っているか確かめる。
など、暮らしが大きく変化すると説明しています。
確かこんな記事だったと覚えていますが、日本だけでなく世界的で研究が加速して
いるようです。
人間同士が情報交換する手段は携帯電話あるいはPHSなどで既に“どこでも”に
なっていますから、これは人間と物の会話、あるいは情報交換という事になりま
すね。
見当たらなくなった携帯やPHSを探すのに電話を掛けて呼出のメロディを聴き、
在処を知るという事は既に皆さんがやっています。この流儀で何にでもコンピュ
ータを埋め込んでおけば、そのありかがたちどころに判るというのは確かに便利
かも知れませんね。
年輩の人の間では“度忘れ”が話題になります。今しがたまで手に持っていたいた
ものを、どこに置いたか幾ら探しても見つからない。まさに不思議というより仕方
がない、というあれです。
何も神隠しに遭ったわけでもなく、瞬間の記憶を喪失するわけでしょうから、その
意識を補うという意味では補聴器のようなものですね。
何とでも会話が出来れば、確かにいろいろな場面で苦労する事は少なくなるので
しょう。此処は何処だろうとビルや建物に聞けば、たちどころに住所を教えて
くれる。最新のビルは窓が開かないから中に居たのでは雨が降っているかどうか
判らない。
だが待てよ?と考えます。アクセス手段を盗まれたら財布のありかが人に判って
しまう。ふと、無意識に何処かに置いたら「此処に置きましたよ。どうぞ・・」と
言っているようなものかも知れません。
第一、ありとあらゆるものにIDやパスがあったら覚えるのが大変だです。
いまでもネット接続に、いろいろなサイトのサービスに、IDとパスワードを求め
られ、その都度、書き込まなければならないのに、大切な物がやたらに増え、人に
知られず記憶するのは年輩者にとって“至難の技”ではありませんかねぇ・・。
ユビキタスの崇高な(?)理想からすれば、何を単純な!と叱られそうです。
この話を聞いて、アメリカのある州で高齢者のための楽園のような環境を作った
ところ、急激にボケが加速したという話を想い出しました。
人間は何歳になっても鍛えることで機能を維持するとすれば、こうした発想は
人間の退化に一役買うものかな?と皮肉な考えが浮かんで来ます。
経済の発展というものも、行き過ぎれば人間喪失となるという見本が今の日本
かも知れませんからね。
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