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DIARY

ごきぶり日記279

東京のチベット


東京都稲城市(いなぎ) 人呼んで東京のチベット。
稲城というと“稲毛ですか”と聞き返される。千葉の稲毛が有名なので仕方がない のだが、それでもこっちは東京都なのだから頭に来る。
家内が仙台中央郵便局で「稲城市」と言ったら「何県ですか?」と聞き返された と言って怒っていた。

その昔は都下南多摩郡稲城村。現在では多摩ニュータウンの一角なのだからもっと 知られても良いのにと思うのだが。
地理的には神奈川県に接してちょうど盲腸のように同県に食い込んでいる。
山を切り崩した多摩ニュータウン丘陵とは違い、多摩川本流に沿った平野なのだ から、こっちの方が発展してしかるべきなのだが、なぜかここ半世紀に亘って 変わらない。

人口は71,244人(平成13年3月1日現在)で前月比46人増というから過疎化して いるわけではない。
その元凶は恐らくJRにあるのだろうと思っている。川崎と立川を1時間弱で結ぶ 南武線。その途中、武蔵小杉では東急東横線と、武蔵溝の口では東急田園都市線と、 登戸では小田急線とまた、分倍河原では京王線と交わるのだから、本来そんなに 不便で発展しない場所ではない筈である。

その証拠にそれぞれの私鉄沿線は見違えるほどに発展している。
その昔この南武線は工員電車と呼ばれていた。窓には取調室のような鉄格子が はまっており、車輌の真ん中に鉄柱が立っている、あの戦後の主流であった六三型 電車が永い間幅を利かせていた。
それでも乗客の増加に伴って車輌の連結を増やすがホームが間に合わず最後尾は ドアが開かなかったという代物である。

私鉄は新型車両をどんどん投入するのに、この線は山手線や中央線のお古を貰って きてつなぎ合わせるから元々の茶色の車輌と黄色い車輌、青い車輌がナンセンスに 入り乱れて走っていた時代もあった。
武蔵小杉、溝の口などは東急の工事に連れて立派になってゆくものの、そのほかの 駅は半世紀経っても変わることのない木造平屋である。
加えてJRと私鉄は仲が悪い。だから乗り換えが極めて不便に出来ている。 昔は同じホームでつながっているところもあったのに、今やそっぽを向いた作り になっている。喧嘩別れした夫婦のような感じである。

まさに“東京のチベット”と呼ばれるのに相応しいほどに変化がない。
だが、ものは考えようである。多摩川の土手に出れば胸が洗われるような広大な 景色が未だに変わりなく残っている。桜並木も見事である。新宿まで乗車時間30分 という地理に位置しながらのこの不便感と残された自然環境とのトレードオフなの かも知れない。

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