ごきぶり日記268
成果主義は曲がり角?
12月16日の日経新聞朝刊一面に「トヨタ人事“モデルチェンジ”」とある。
そう言えば富士通の成果主義偏重も、返って業績の足を引っ張り、見直しをすると
報じられていた。
成果偏重をやると廻りのことなど考えようともしないで自分の業績に、ただひた
すら励むらしい。その結果組織はバラバラになり、部下はうろうろし、という傾向
が出てきて先行きが問題になっているのかも知れない。
本来、中間管理職はプレイングマネージャーであって、自分が先頭に立って業務を
引っ張り、部下を育てて総合的な力を発揮することを期待されるし、バブル以前の
企業戦士は皆そうしてやって来た筈である。
大体、課長などの中間管理者の個人の成果をどう定義したのだろうか。
何事によらず、グループの成果を出そうとすれば、先ず、部下を育てなければ大き
な力は出ない。教えて、相談に乗ってやり、時には大いに叱る人間対人間の付き
合いが原点だった筈である。
昔は現場には必ず怖い、鬼の班長さんが居た。例え技術者と言えども安易に変更を
頼みに行こうものなら“我々の苦労を無にするつもりか! 自分で直してどんなに
大変なのか経験して見ろ!!”などと怒鳴りまくられる。
でもお願いしなければならない。だから恐る恐る、それも何回も足を運んでお願い
する。そのうちに、いつの間にか一緒になって真剣に、どうして改造しようかと
親身に相談に乗ってくれるようになる。
自分の部下とても同じことで、一緒になって考えるからこそ大きなこと、苦労を
乗り越えられる。この記事によるとスタッフとしての専門性と管理能力が半々だと
いう。それを2:8に改めるそうだ。果たしてこんな数値で計るものなのだろうか
と疑問になる。
たびたび昔の話で恐縮だが、その昔は国も企業も目標が明確で、ベクトルを合わせ
るなどという心配は要らなかった。だが今は行く末が見えず、世の中が複雑怪奇に
多様化しているので、成果と言えば先ず自分の身を守ることになるらしい。
アメリカは底辺に「個」があって、個の集団を繋ぎ合わせるために飛び回る職域が
ある。その上のマネージャー同士はいつもいがみ合いながら摺り合わせを図って
いる。管理者はノルマを予め自分で申告し、昇給の際に責任者と議論をする。
だから“こんなに出来た。良くやったろう”“いや、出来ていない”と口論に
なる。
挙げ句の果ては裁判所に駆け込むケースもめずらしくない。永い日本的雇用環境、
日本的風土のままでいきなり成果にウエイトを掛ければ纏まりのない組織になる
ことは想像に難くない。
それにしても部課長の指導力が無い、意志決定が出来
ない、ということは全般的傾向らしい。勤労政策だけを弄くって何とかなる問題
なのだろうか?・・・
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