ごきぶり日記251
8月15日、ある先輩の話から
小泉首相の靖国神社参拝をめぐって賛否両論とのことなので、どんな意見かと
掲示板を括ってみました。結論から申して愕然とさせられました。
勿論、どんな年代の人たちか判らないのですが、靖国神社って何だ?から始まって
戦争犯罪人の擁護、参拝して何故悪い、外国に干渉されるな、といった意見が多い
のです。
これを見る限り、戦争の深い痛手の中で二度と戦争はしないと誓った日本人は見ら
れなくなっています。何だか、ネオナチが日本の中で息を吹き返したような、
ナショナリズムを感じ、真夏の怪談のようにゾッとする想いでした。
昭和初期は4年の大恐慌をはじめとして日本にとってきな臭い、暗雲のたれ込み
かかった時代でした。
柳条湖事件(昭和6年)、廬溝橋事件と経て、日中戦争全面化へと突き進んで
いました。
為政者は当時、最大の仮想敵国であったソ連との全面戦争に備えるため、南満州の
確保が絶対に必要という考えに傾倒して行ったと言います。
これを先導したのが関東軍と言われていますね。満州事変は日支事変へと発展し、
応召された兵士が続々と大陸に送り込まれます。
未だ子どもだった私にも気違いじみた熱気が感じられたものです。政党政治の腐敗
が軍部独裁に拍車をかけ、一気に昭和16年12月8日の開戦に至った経過はまだ
記憶に新しく、多くの資料が残されています。
ここで言えることは、多くの人が最期まで戦争を回避しようと努力したこと、戦争
をしても勝てる見込みがないことを知っていたということです。
この舞台は殿中「松の廊下」と似通ったところがあり、吉良上野介は米ルーズベルト
大統領と英チャーチル首相であったということも囁かれていました。だから、
悪いのは米英だという論拠なのでしょう。確かにそんな仕掛けもあったようです。
だから戦争を始めても適当なところで和平に持ち込む、これがシナリオであった
筈ですが、でも軍部はそれをやりませんでしたね。
私は幸か不幸か身体が弱く、兵役には無縁でしたが、友人たちは挙って海軍士官
学校、陸軍幼年学校などに入学していきました。七つボタンの予科練も羨望の的
でした。友人たちの話ではこれらの学校は入学するなり先ず、死ぬことを教える
と言います。
天皇のため、国家のため如何に散るかというマインドコントロールを叩き込むと
いうことです。
こうした教育を10代から受け、腰にサーベルを吊した士官になる頃には、国の
ために死ぬことに何の疑念も持たなくなるようです。
だから映画「蛍」のように、生きて帰ることの出来る場面でも敢えて死を選ぶの
でしょうね。
敗色の濃くなった戦争末期、ガダルカナルの戦場は広大な土地に人間の挽肉を敷き
詰めたようだったと言います。広島、長崎の原爆投下の悲劇は今でも語り継がれて
います。それでもそんな状況に引きずり込んだ時の為政者に手を合わせることが
出来るのでしょうか。
時がすべてを忘れさせるものですね。そして再び地獄を繰り返す。増えすぎた人間
が自然淘汰されるとすれば、自然破壊とともに人間とは動物よりも劣る生物かも
知れませんよ。寂しく、うら悲しい話です。
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