ごきぶり日記243
機械が怖い
日経新聞6月3日、「Sunday Nikkei」に、「機械化進む福祉用具」「高齢者に
広がる抵抗感」の記事を見て想い出した。
亡くなった義兄がどう勧めても電気カミソリを使おうとしなかった。突っ込んで
聞いて見ると怖いのだのだと言う。電気カミソリが顔に食らい付いて離れなくなる
とでも思うのかも知れない。
そこまでではなくても、意志のない機械は扱い方を間違えば止まらなくなるから
顔の肉に食い込むかも知れないという恐怖感が襲うらしい。
どんなに説得しても使おうとはしなかった。そんなこんなで終生電気カミソリに
触れようとしなかった。
そんな歳でもない友人に、絶対にカードを使おうとしない人がいる。然もこれが
中堅企業の社長まで勤めた人である。
絶対にマシンに近寄らない。だからCDでお金を預けたり引き出したり した経験
が全く無いのである。財布も持たずに裸の札をポケットに押し込んでおく。
上の記事でもこれを高齢者の苦手意識と片づけているが、本当に単なる苦手、
あるいは使ったことが無いから怖いだけなのだろうか。どうもそうは思えない。
機械嫌いは歳に関係無いのかも知れない。何事によらず心の通っていない機械を
信じることが出来ないという心の原点が支配しているのではあるまいか。
パソコン嫌いはキーボードに触れるのも恐れる。うっかり触れると暴走を起こし、
コンピュータが壊れるかも知れないという恐怖がつきまとう。
ある時、小さな子どもが動作中のパソコンの電源を切ってしまった。
今でこそ、ウインドウズに自己修復機能があるが、ついこの前まではOSを
再インストールしなければならない。
心なくも“壊したなぁ!”と脅かしたところ、その後は電源を入れる段になると
逃げ出して、柱の影で怖いものを見るように覗き見るようになってしまった。
介護を受ける人は心身共にハンディを背負っている。機械に頼って積極的な生き方
をしようとする気持ちが当然だと考えるのは健常者の押しつけだろう。
ましてや、介護者の負担を軽減するだけの機械なら恐怖を押しのけて使おうとする
気にならなくて当然である。
介護する人の労力は並大抵のことではない。だから機械化を阻害することは出来
ない。でも介護を受ける人は“心の介護”を求めている。
介護者が動かすことにすら抵抗があるのかも知れないから、ましてや“自分で
動かしなさい”は心ない。“ボタンを押すと動き出す・・”機械が暴れ出すのでは
ないかという恐怖はパソコンを壊した幼子と同じ恐怖感なのだろうから。
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