ごきぶり日記240
自分史を書く心
テレビで文章の書き方を教えている画面が流れている。自分史を書くのが流行って
いるらしい。
文章の上手い下手はさておいて、自分を見つめ直して考えを纏めるというという
点からは、書くことは人生において欠かせない。
説得力を持って自分の意志を伝えたいと思うなら、書いては消して文章を練らなけ
ればアピール出来ない。
だが、始めから立派な文章を書こうと思うと、今度は筆が動かなくなるから文章は
厄介だ。作文には語彙(Vocabulary)が豊富で言い回しがうまい方が少しは有利
なのかも知れない。でも文章表現は人間の心の伝達だから、美辞麗句や流麗な表現
にこだわれば、その文章はたちまち中味の無い空疎なものになってしまうに違い
ない。どうしても言いたい、伝えたいと思う重要な部分だけが見事に抜けてしまう
こともある。やたらに形容詞が多い、伝えたい本質が浮かび上がって来ないと
いう経験をされた人も多いのではあるまいか。
事実を素直に表現する、本当に話したいことを書くということは本当に難しい。
飾らないで事実を並べ立てるなら難しいことは無いはずだが、やはりうまく
書こうという想いが先走り、心の葛藤となって邪魔するのかも知れない。
自分史を書くということは、生き来し方を振り返り、記録に留め、想いを新たに
するという意味から立派なことである。
「随想日記」を書いておられる方は多いのではないかと思うが、得てしてあとで
読むと何でこんなことを書いたかと思うことが多く、結局は破り捨てることに
なってしまう。
自分史を素直に書こうと思えば自分の総てをさらけ出さなければならない。
出来事を並べ立てるのが目的ではなく、自分がどんな想いでその時々を生きて来た
かを書く以上、心の中を隠し、飾り立てるのでは意味が無い。
だが、意識するにせよしないにせよ人間には触れたくない、触れられたくない想い
が必ずある。そんなところを避けて通ろうとすれば、そこを美化するかスキップ
するしかないから、出来上がった文章は事実と異なり、なんとも寝覚めの悪い話に
なってしまう。つまり自分をさらけ出す勇気がいるのである。
人間だから、その時々の恨みつらみ、感情の昂ぶりから相手を中傷するような
文章になる場合もあるかも知れない。あとになって後悔するのはこんな部分では
なかろうか。
「人生とは夫婦で織りなす錦のようなものだ」とは、サマセットモームの
「人間の絆」の一節だが、ことほど左様に人生は断片ではなく、永い歴史の連続で
意味があるのだろうから、日常書き置くことが重要になる。
毎日を素直に自分の心に従って書き残し、これを読み返したとき恥じることなく
公開出来るというためには、文章の表現技術などが必要なのではなく、自分の生き
方、考え方が間違っていないという自信に裏付けされていなければならない。
そんな意味から、自分史の書き方を教えるなど、思い上がったことが他人に出来
るとは思えないのだが・・・
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