ゴキブリ日記64
人生「流れ雲」
人間の生活は実に様々な工程で成り立っている。
朝起きると歯を磨く、髭を剃る顔を洗う、整髪する、食事をする、トイレに行く、着替えをする、
人によっては決められた薬を飲む。
ことほど左様に、一日の身のまわりだけのルーチンワークだけで、数十工程に及ぶ。
勿論、これに家事でもやれば大変である。
きちっとやろうとすると何とも面倒くさいものである。
一ヶ月風呂に入らない、書斎の身のまわりの片づけはやらない、やらせないという人が居た。
事実、足の踏み場もない書斎は山のような書類やガラクタで埋まっている。
だがそこが何とも安楽な世界であるようだ。案外それが人間の究極の希求なのかも知れない。
三度の食事を含めた、これらの工程と家庭の雑用、家族サービスに使う時間の残りが自分の時間になる。
さて、それでは何をやるかとなるが物臭にはテレビを見る時間ぐらいしか残っていない。
こうして毎日を過ごしていると、人間ってなんなのかと思うだろう。
思わなければ幸いである。世の中が生きづらくなって来た。
かっての繁栄はなく、景気はいつ上向くとも知れない。
政府が躍起になって消費の拡大を計っても国民は信用していないから財布の紐をがっちりと閉める。
中には日本は衰退すると悲観論をぶつ評論家もいる。
欲しいものがなくなって競争が益々激しくなるから企業は生き残るためあの手この手の商売を考える。
テレビでは盛んにリストラの話を繰り返す。
ある日突然に肩を叩かれ、再就職のためにカウンセラーのお世話になる。
ところが、いくら聞かれても自分が何をやりたいのか、全く分からない。
「自分には会社の、今の仕事が一番合っているんです」と繰り返す。
更に問いつめると、調理師になりたいと言う。
びっくりして聞き返すと、それは子供の時に抱いた夢と分かる。
企業におんぶにだっこで生きてきた鋳型人間の、何とも悲しくなる話である。
人間、連続テレビドラマ「あぐり」のエイスケのように生きられないものか。
自由な発想とは物事を一つだけの観点から見ない、組織的、社会的背景に縛られないことという。
あぐりとエイスケの会話、
「あの雲は何処に行くのだろう」
「それは雲が決めることだから」が妙に心に残る。
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