ゴキブリ日記55
気合いで生きる
よる年波。嫌な言葉である。
ある大先輩が突然に亡くなって(こんな事でもないと集まらない古い仲間だが)
かっての先輩、上司の懐かしい顔を拝した。
だが、そこで愕然としたことは、あの鬼の先輩や神のような上司が、
たかが10年ばかり経っただけで急にお年を召したと感じたことであった。
当然、風貌は年月を物語るように変貌し、顔には深い皺が刻まれている。
だが、それよりも何よりも例外なく声が小さく力無く、借日の面影が失せてしまった事だった。
私を「---君」と呼ばずに「---さん」と呼ぶ。そんな弱々しい人ではなかった。
もっと激しい、頼もしい人だった筈だという思いが強く、
それだけに受ける印象が極めてショッキングであった。
「人間、年を取ればみんな衰えるものさ」と人は云う。本当にそうかも知れない。
だが、それでは困るのだ。幾ら年を取っても病み上がりでも、
空元気でも昔年の面影を失わないで欲しい。
人間、声が小さくなるのはその人の生命の蝋燭が消えかかっている証拠という。
何故、もっと大きな声を出し、激しく生きて呉れないのだろうか。
年を取ると背が丸まり、足取りが頼りなく、足が持ち上がらないので、
ちょっとしたものにつまずくという。
それならば無理にでも胸を張り、大幅に足をあげて歩く、
あるいはそうして歩こうと努力すれば良いではないか。
これは何糞、こん畜生という戦闘的生き方をして欲しいという願いである。
やっても出来なくなったなら石を抱き悔し涙を流せば良い。
皆、戦う努力もせず唯々諾々と年を寛容しているらしい。
逆らって生きる元気、それが与えられた人生だ。
たとえ無理してコロッと逝ったとしても本人はその後のことなど何もわからないし関係ない。
誰かそんな人生を見せてもらいたいものである。
お通夜の帰り道、ある小料理屋に立ち寄った。
すでに先着の友人、先輩もおり、お浄めの酒に話が弾む。
カウンターの隣の常連らしい見知らぬ人が話に加わる。
「年金生活って良いものですよ」見ると足下に、きりっと荷造りをしたリュックと帽子が置いてある。
山を駆け回り、自分で煮炊きし、孫たちにも料理を作ってやる、
誰の手も借りないと大きな声で話しかける。
酒がまわっているだけではない生き生きとした活力が圧倒する。
<ゴキブリ後記>
ゴキブリから見る限り、人間とは文明の進化と共に生活力を失って行く弱い生物だ。
もしも、誰しもがこの人の云うように強烈に生きることが出来たら世の中は大きく変わるかも知れない。
高齢者社会が来るからね。
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