閑話休題
随筆「ゴキブリ日記」も平成7年の6月に書き始めてから、既に40数編に及び、 アクセスカウンターも2500を優に超えている。 その間、2〜3通の暖かい感想、ご意見を頂いたものの、期待した反論、議論は全くない。 然し、著者なりにいつも読んで下さる愛読者がおられ、密かに「今回は何の話だ?」 とアクセスしてくれている人が居られることを想像しながら、見えない友に手紙を送るように書き続ける。 誠に僭越な言い方だが、もともと、このコラムは誰に見て貰おう、賛成して貰おうと思って書いているものではなく、 纏まりのつかない自分の思考を書くことによって整理しようとする自分自身への問いかけである。 だから、著者とゴキブリの二人三脚であり、著者が激高すればゴキブリが冷ややかな目で疑問を投げかけ、 落ち込めば「まあ、みなさん聞いてやって下さい」と慰める。 人間は誰しも、理性と本性という二つの人格を持っていて、理性が本能にブレーキを掛け、 人間の道を踏み外さない役目を果たしているというから、ゴキブリは著者のもう一つの人格かも知れない。 ある人にどうしてゴキブリ日記を書き始めたのかと聞かれた。 何かにつけ不透明なこれからの世の中はゴキブリのように機敏で逞しい生命力が必要だからと答えるしかない。 だが、本音は全く違う。少なくとも地球上に生存する生物は自然の摂理に従い、実に種の保存に努力する。 善悪の判断ではなく、本能としてそれに従う。 時として種が繁殖し過ぎれば自然淘汰が起こり、生きて行かれる環境を守り繁栄する。 自然淘汰は戦いである。外敵がこれを実行する時もあるし、種同士がこれを自ら行う時もある。 人間も例外ではない。種が増えすぎ、生きづらくなり自己主張が通り難くなるとそれなりの大儀名分を作り、 戦争を繰り返し人類の自然淘汰を行う。 そうならばこの点に関する限り自然界の動物、ましてやゴキブリと人間に何の差があるのだろう。 大宇宙の中の一つの星に生息し、ビルを建て橋を造り交通機関を張り生活環境を整える。 だが、その文化はたかが地球という石の上に作った人間のための生存環境であり、 全宇宙から見れば鳥の巣とどれ程の違いがあるのだろうか。 転変地異があれば同様に簡単に消滅する。 生き魚料理店の水槽の魚は実に悠々とのんびりと泳いでいる。 彼らは恐らくはここが宇宙だと思っているのかも知れない。 すぐそこにある自分の過酷な運命など知る由もないのだ。 そんな考え方は古いニヒリズム思想だと云われるだろう。 でも、いまの世の中を見ていると、そんな人間の小ささを忘れ、自己が永遠に存続するかのような不遜、 あるいはエゴイズムがまかり通る。 自分の持ち物でもない企業を私物化する経営者、権益を死守しようとする族議員、 日本は我が手中にありと権勢を振るおうとする官僚などが、うようよしている。 こんな時こそ無力な人間の原点を、見つめ直し、真摯に生きる人間哲学こそ必要なのではあるまいか。 ゴキブリが好きだという人は居まい。誰しもゴキブリを目の敵にする。 だが「ゴキブリ日記由縁」で、お話したように、 また対話型コラム「悠々自適(26)」に書いたように、 日本の社会構造が大きく変わって行くとすれば、否応なしに個人々の「生き抜く力」が求められて来る。 そんな発想の中で、あの天敵ゴキブリの逞しい生命力に目が向くのは過激だろうか。 残念ながらこれからは日本も益々人情や情緒の欠落した、個人が生きるのに精一杯な、 ぎすぎすした社会に変貌して行くことだろうから。 始めに、未だ何の反応もないと書いた。 勿論、文章の稚拙さ、テーマや内容の問題が大ありであることはお詫びしなければならない。 だが、一人よがりな解釈からすれば、 現在のインターネットをアクセスする年代は若い層が多く、 社会問題や人生哲学は素通りして行くのだろうと勝手に解釈している。 でも僅かな人でもよい、このつたない話を読み、同感し、反論し考えて、何か云ってくれれば、 またゴキブリも一緒に悩み人間を見つめ続けることだろうが。