ゴキブリ日記36
酒のこと
ロンドンに居た頃、よくイギリスの友人に飲みに連れて行って貰った。
行くところは大体、パブである。飲み物はビールだけ、何かつまみものが
ないかと、きょろきょろしてみるが何も置いて居ない。たまたまワイング
ラスに小さなピーナッツの袋が置いてある程度である。
テーブルも椅子も無い。勿論、カラオケなどあるはずがない。
狭い店の中は立錐の余地もないくらい混雑している。それでもみんな楽しそう
に大声で話し合っている。きわめてカラッとした陽気な雰囲気にすぐ魅せられ
てしまい、一緒になってわいわい話す。
大きなジョッキに2〜3杯飲むと皆、さっと家庭に帰る。
日本ならさしずめ、先ず居酒屋か焼鳥屋で、しこたま食べながら思う存分に
飲み、さて興に乗るとスナックへという段取りである。
だから帰りは午前様になり、奥さんにさんざん絞られる下りになる訳である。
この日本的な飲み方は恐らくは日本人だけの特性だろうと思う。
流石に今は見掛けないが、杯のやりとりなどは古い伝統の産物で相方が着物
のたもとで、ちょっと杯の縁を拭う仕草をして返杯するなど、年輩の人には
懐かしい習慣だろう。
九州は酒といえば焼酎である。詳しいことは知らないが、大体は焼酎を
ストレートで飲むか、お湯割りだそうだ。指宿のある結婚式に出たとき、
テーブルの上にはフラスコがずらりと並んでいる。名前があるのかも知れない
が、三角のガラスの器に取手がついているのだから、フラスコには違いない。
つまり、あらかじめお湯で割った焼酎が出来ているわけだが、あとで聞くと
始めに水で割ってから、暖めるといっていた。焼酎を澗したらアルコールが
蒸発して無くなってしまうのでは、と余計な心配をしたが最近、東京のある
ところで狸の土瓶に熱燗をした焼酎が出てきて知識の無さを恥じたことが
ある。
こうした日本的な差しつ差されつの飲み方をすると、興に応じていくらでも
入り翌日が辛くなる。そこで友人と飲む時はアメリカ式で行こうと、お互い
自分の徳利を持ち相手には差さないという約束で飲むことがあるが、やはり
物足りないのかいつの間にか差しつ差されつになってしまう。
アメリカなら食前酒を注文すると間もなく、次の注文を取りに来て否応なく
食事になるのでじっくりと酒を酌み交わして語り明かすことは出来ない。
食前酒の2杯目を注文出来ないわけでは無くても、何となく「よく飲むな」と
思われているようで後ろめたい。それに相手に差す(酒を注ぐ)ようなことを
したら「何をする!」と喧嘩になりかねない。
かくして、日本的な飲み方は翌日に持ち越し後悔を残す。次の朝、何をした
訳でもないのに「しまった!」と思う感じで目が覚めるのは私だけだろうか。
若い頃は胃がむかついて頭痛がするほどの二日酔いでも午前中にはけろり
とし、夕方になればまた恋しくなるのが普通である。年を重ねるに従って、
肝臓自身は「また来たか」というように幾らでも受け付けるが、翌日は一日、
廃人である。
ホームドクターが「酒を飲み過ぎると次の日は生きているのが嫌になるような
鬱になるんですよ。だから私は外で飲まないようにして、それも晩酌はビール
だけです」といって居られたが、みんな同じ経験をしているらしい。
それでも「酒やめた 酒やめたは 朝のうち」で性懲りもなく飲み続ける。
人間の臓器を車の部品に見立てるのは不謹慎だが、永年、大酒を飲んでいても
「脂肪肝(γGTP)の数値は真んなか辺だよ」と豪語している人がある。
あれだけ飲んでよくまぁ、と思うが、やはり人によって部品の出来が違うのか
も知れない。
<ゴキブリ後記>
何のために酒を飲むか?なんて聞くのは野暮な話で、酒は男の(今や女性も)
親友のようなものだそうだ。それでは飲めない人はどうなんだ、というと
始めから無ければ無いでどうってことはない。という。
人間には、わが輩たちには関係ないストレスという大敵がいるようだ。
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