ゴキブリ日記30
電子メールの会話
<前置き>
今日の話は電子メールというより、電子メールで会話する際の人間同士の
意志の疎通と、行き違いの問題のようだ。面倒なことだと思う。
この間、インターネットのニュースグループを読んでいたらメールで喧嘩
している人達が居ましたよ。「そんなこと云っていない!」から始まって、
終いには「うるさい、黙れ!」までエスカレートしていました。
文章で「意を尽くして書く」ということは難しいね。以前、まだメールが
ない頃のこと、日本とアメリカの出先の間で、ファックスで派手な喧嘩を
している例がよくあった。
原因は他愛ないことなんだね。発信人の文章の書き方一つでカチンとくる、
それに対して感情をぶつけるように返事を書く、さらにややっこしくなり、
果ては喧嘩になるという何処にもあるパターンなんだ。何故こんなことに
なると思う?
それは私だってありますよ。文尾が「----して下さい。」となっているだけ
で「何で俺が彼奴に命令されなければならないんだ!」と感情的になり、
次の書く言葉が違ってくる。そういう単純な行き違いなんだと思いますよ。
要するに文章表現力がないんですね。始めからディベートするなら話は別
だけど。
まさにその通りだね。まず、相手の立場と心情を理解しようとして文を読む、
それから自分の思いと、自分の置かれている状況を充分に伝え理解を求める
ことなんだろうが、なかなかそうは行かない。自分の思いだけを書き綴る、
書いている本人は普通の言葉を使って充分に意を尽くしていると思っている。
でも、微妙な言い回しで誤解を招く。こんなことはみんな分かっているんだけ
どね。
でも日本語はこうした微妙な感情を表現できる最高の言語なんだそうだけど、
何せ、国語力が落ち、符丁のような言葉で会話するんでは救いようがないね。
若い人同士ではそれでも意志の疎通が出来ているんだろうねぇ。
どうですかね。仲間同士は案外通じているんでしょうけど。でも今後、益々、
電子メールの交信が活発になる。一方では文章力、表現力は反比例して落ちて
行く。「誤解の固まり」という言葉がありますが、そんなことにならないよう
に、ニュアンスが必要な会話はメールでやらないということでしょうか。
よく云われているように同一民族の日本には「以心伝心」とか「云わず語らず」
とかいう腹芸がある。
以心伝心というのは「言葉や文字を使わず、お互いの気持ちが通じあうこと」と
あるから、あうんの呼吸とでも云うのかな。でもそんな閉鎖社会のコミュニケー
ションでは、これから地球のボーダレス化について行かれなくなるね。
それで思い出したが、英語というのはアルファベット26文字の組み合わせで
出来ているのだから簡潔で平易だよね。だからということか、どうか知らない
が、彼らの言葉には冗長度が多いと感じるのは私だけかな。教育システムが違う
からだろうが自分の意見を述べるのに、いろいろな面からくどいように繰り返す。
文章もそうだ。よく相手に理解させるように書いてある。
「一筆啓上火の用心 おせん泣かすな 馬肥やせ」式な手紙はみたことがない。
電子メールは用件が伝えられればいいではないか、と言われそうですが、でも
やはり人間同士の会話ですから、そうそう紋切り口上で終わりという訳には
ゆきませんよねぇ。やはり日本文学でも勉強する必要がありますかね。
純文学は心や生き方の追求だろうから役に立つかもしれない。珠玉の心境小説と
言われた「暢気眼鏡」などの尾崎一雄などどうだろうね。この人の小説には芳枝
という、ごく普通な明治の女性がよく出てくる。うろ覚えだが、「芳兵衛物語」
という小説があって、この女性の心の動きを暖かい心で細かく見守っている。
こんなのも文章の勉強になるだろうね。また古典落語全集なども勉強になるよ。
軽妙洒脱なウイットがあればメールやファックスで喧嘩をすることも減るだろう
と思うがね。
そうですね。人生にとって一番大事なのは親友であり、心の通った会話であり、
ですから電子メールだけが単なるメッセージの伝達だけでは味気ないですよ。
文章表現力の勉強をしなくっちゃ。
我が輩の同族は極めて発達した触覚で行動し、通信する。コミュニケーション
内容も通信手段も極めて単純だが混乱はないよ。人間社会は心が置き去りに
され、手段だけが発達したということか。
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