ごきぶり日記196
上司を選ぶ〜その1〜
サラリーマンは上司を選べない、というこれまでの常識は、大分変化してきた
ようだ。大手企業でも、特定のグループを組んで仕事を進める際に、そのメンバー
が、どのリーダー下で働きたいか申告するシステムが根付いているという。
いわゆる部下が上司を選ぶ時代ということだろうが、未だ大方の企業は旧態依然と
した構図が続いている。
永いサラリーマン生活(これからはこれも死語になるかも知れない)では、数え
切れないほど、いろいろな上司に巡り会う。恐らく殆どが満足出来る人格では
ない、というのが本音だろう。
事実、その上下関係の間に信頼関係が醸成されて、後々まで自分の人生に影響を
与える人は一人、あるいは二人居れば良い方かも知れない。
筋もへったくりもない強引で、横暴な人、おとなしいが、自分の意志を持たず、
何かの煙のように全く頼りにならない人、あるいはピントの外れた管理職など、
努力の甲斐もない上司に巡り会った時は悲劇である。
聞いた話だけで先輩をまな板に乗せるのは失礼だが、こんな有名な話があった。
とにかく、でかい声で怒鳴る。部下を机の前に立たせて置いて、がなりまくる。
それも、ただ怒鳴るのではなく、先端の鋭利な目立てを持って、それを机に
ぶすぶすと突き刺しながら、がなりまくるから、恐らく部下は、その目立てで
“ぶすり”と突き刺される恐怖を感じて居たに違いない。
机は隈無く穴だらけで、名物になっていたという。だが、勤務中に何のために
目立てを持っていたのかは聞き忘れた。それに当時は木の机だったに違いない。
一応はそれなりの役職の人だったから、ただ、恐怖感を与え、怒鳴ることに優越感
を持ってやったとは思えない。それも一つの愛社精神の発露だったのだろうと
思っているのだが。
そうした人間も、自分の意志で移動しているわけではないから、巡り合うという
よりは交通事故のようもので、“たまたま、ぶつかった”という方が正しいのか
も知れない。裏を返せば、そんな関係が永久に続くわけでは無いのだから、その間
をやり過ごして、次の人に期待すれば必ず、もっとましな人に巡り会うのだが、
どうしても“あぁ、これで俺の人生も終わりか”と思い込み勝ちなものである。
そんな冬の時代は、じっと耐えているか、無視する以外方法はないのだが、何せ
毎日のこと、仲々そこまで悟るのは難しい。
ルールだけには厳しいが、仕事の中味は部下任せで“かくあるべし”とばかり
お説教する上司も居る。部下は刻々と降りかかって来る問題に、体力も神経も
すり減らしているのだが、中味を知らないし、知ろうともしないから相談しても
何の助けにもならない。
こんな場合、議論や衝突が起これば未だ良いのだが、部下は諦めてしまって、
適当に調子を合わせ、実は無視しているという場合が多い。
本体から天下って来る人や、出向して来る管理者にこんな形が多い。
それでも、ご本人は立派なマネージメントをやり、部下に信頼されていると思って
いるのだから始末が悪いのである。
薫陶を受け、その影響が自分の思想となって人生の中で、いつまでも想い出す
良い上司に巡り会うことはそれほどに少ない。ましてや、最近はめっきり少なく
なったのは確かである。
どんなに怒鳴りまくろうが、その心の総てが部下の将来を心から心配する、親心
ならば、叱られる方も人間なのだから通じるに違いない。
上司とは部課長だけでは無く、後輩が居れば誰しもが上司なのだから、「それでは
自分は?」と常に振り返る必要があるのだろう。
お仕着せの上司で、これからの国際競争に勝てるわけが無い。部下が上司を選び、
団結して闘うチームワークが、企業が生き残るには欠くことが出来ないと思って
いるのだが。
|