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DIARY

ごきぶり日記186

サミエル・ウルマンを見た


佐々木建市さん。
ご本人の自著のうち「蒼き日々」「裸身」の二作を頂いた。
ことわって置くが佐々木さんはプロの作家ではない。七十八歳と伺ったが、 現在ご自分の二つの会社を経営しておられ、柔らかい肉体と若さを全く失わない 心が全身にみなぎって、羨ましいような活力を発散されている。
お話をしているうちに、幻の詩人 サミエル・ウルマン(1840−1924)の青春の詩 (うた)が脳裏に蘇る。

青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相(ようそう)を 言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦(きょうだ)を却ける 勇猛心、
安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や狐疑(こぎ)や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰あたかも 長年月の如く
人を老いさせ、精気ある魂をも芥あくたに帰せしめてしまう。
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。

・・・・・・・・・・・・                                  (邦訳 岡田 義夫)

「蒼き日々」は一種の自伝である。お許しも得ずその序章をお借りする。

「昭和十八年、海軍軍人として南方戦線に参加して戦い破れて、二十一年に 復員した。
一年間捕虜生活を経験したが、思ったより私は辛くなかった。
むしろ戦争が終わったことによって、生命の危機感が、一挙に解放された、
そんな感じの方が強かった。
然し、母国に復員し列車の窓から見た広島、 大阪、東京などの大都市の姿は、
私の想像以上のもので、草や木も生えない 程やられ、焦土となっていた。
空襲による爆撃も激しいものであったろう。 破壊されたビルが、川崎、品川、新橋、
有楽町と見渡す限り不様な形で鉄骨を 残し、瓦礫の山を築いていた。
“畜生! これほどまでに”と思うと、悔しさ に身の震えが止まらなかったことを想い出す。
街には、住む家を焼かれ、 親や肉親と死別して浮浪者となった子供たちが溢れており、
特に駅の構内など には、集団で屯していた。日本民族の最も悲しく、つらい時代であった・・」

これを端緒として、荒廃した戦後での著者の新しい人生が描き出される。 全編に、人との出会いを、こよなく大事にする著者の想いが溢れている。
ある女性との再会から、現NTTの前身、逓信省電気通信施設事務所に就職し、 これから四十年に及ぶ、後の電電公社マンとしての人生が始まる。

転任に次ぐ転任は電電マンとして当然のことながら、行く先々の任地でのご苦労 の中で、全力を尽くして生きる姿、若き技術者の秘めた淡い恋心が、明治文学を 読むように伝わって来る。
上司や仲間の暖かい支援に見守られて、勤務の傍ら喫茶店や寿司屋を始めた話も 四人のお嬢さんと最愛の奥さんのためであり、そこには常に人と人との深い絆が 溢れている。

昭和四十六年九月十六日、急性白血病で最愛の奥さんを亡くされる。
この下りは読みながら涙が止まらなくなった。このことをご本人に伝えると 「友人たちが“テッシュが三箱なくなったよ”と言っていましたよ」と 淡々と話される。共に苦難を乗り越えて来た仲間が、身内のようにお世話に なった奥さんへの感謝と哀惜が滲み出るように伝わって来る。

54歳で最愛の妻を突然、急性白血病で失う悲しみと苦衷を全身で表すその自伝は、 例え、お会いしたことのない人とは云え涙を誘う。ましてや押し掛けては奥さん に直接、お世話になった友人や部下では、その想いと悲しみは語り尽くせない ことだろうと胸を打たれる。

「私などは世の中を批判的な見方をする過激派ですから、佐々木さんのように  人を信じ、人との繋がりを大事にする暖かい文章は書けませんねぇ・・」と 率直に、この読後感をお話すると、「書いた文章はその技巧、巧拙ではなく、 その人の全人格の表現なのですね。だから書いたものが、人によってみな違って いて良いのでしょうね」と仰る。

こう考えると苦悩と感動の無い人生は、人間の生き様の哲学が無いのかも 知れない。七十八歳にして現役の社長を務め、多くの友を持ち、医者も驚く しなやかな身体でゴルフに興じる人生は羨ましく、神は最大の苦悩と裏腹に最大 の財産を与えたのかと考え込まされる。

サミエル・ウルマンの「青春」を目の前に見た想いがした。

 

 

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