ごきぶり日記185
キーボードに触れる
云わずと知れたパソコンの KeyBoad のことである。
欧米人は永いタイプライターの歴史の中で生きて来たのだから、それがパソコン
のキーボードに変わったところで、キーストロークの違いくらいで大した
違和感は感じないだろう。
ところが日本人の、特に年輩者はこのKeyBoadに触れようともしない人が多い。
確かに一時期のWindowsは下手に触ると画面がDOS画面に入り込んだり、真っ黒に
なり動かなくなることがあった。そんなとき、パソコン画面には“壊れたかも知れ
ないから販売店にもって行け”と言った意味のダイアログが現れたりする。
ソフトウェアの自動修復機能も無いから、初期化してDOSから設定をやり直す。
CPUが遅い、メモリーは少ないから再セットアップには大変な時間が掛かる。
まさにコンピュータのお化けが機嫌を損じ、居直ってしまったか、あるいは
壊してしまった感があったことは確かかも知れない。
だが、今や10万円を切るパソコンにさえ、CPUは400メガヘルツ、メモリーは
128キロバイトが標準搭載され、Windows98は壊れたファイルを自動的に修復して
くれるし、途中で電源をぶった切っても再び電源を入れると“ファイルが壊れた
かも知れない”と自動修復してWindowsを立ち上げてくれるほどに進化したのだが、
それでもパソコンは生き物でお化けなのかも知れない。
ましてや両手の十指を使ってキーボードを駆使することは難しい。
画面だけを見てキーを見ない、いわゆる「ブラインド」など神業に見えるに違い
ない。それはさておき、このキーボードのキー配列は何の規則性も無い。
聞くところによると英語や日本語に向いた配列どころか、何の意味の無いそうで、
昔からそうだったから、ということらしい。
この文字配列を合理的にしようといろいろな人が試みた。森田式などもこの一つ
である。欧米でも同じような試みがあったようだが、仲々普及せず元に戻って
しまうらしい。理由は馴れているからということだけだという話を聞いたことが
ある。
“文字配列が合理的でない”ということがキーボードに触れない理由ではない。
理由なく触らないのである。最近ではこれがパソコンの普及を妨げている、何とか
この壁を破ろうとキーに触らなくても良い方法、音声入力だけで書き込みが出来る
もの、手書き文字を入力でキー入力と同等の効果を得ようとする方法などが次々と
発表、発売されている。
だが、文章は書いて、推敲(すいこう)するから体を成すのであって、パソコンに
口述筆記させるのは仲々難しいのではなかろうか。
此処でまた一つの笑い話を想い出した。
アメリカ在住のある年輩の幹部はパソコンを使えない。だからアメリカ人の秘書に
口述筆記させることを思いついた。
得意の英語で滔々と話し、秘書がそれを書き取ってタイプアウトする。
出来上がった文章を読んでみると、なんと何が書いてあるのか全く分からない。
意味不明であったそうだ。
彼は「俺の英語力はこんなものだったのかと落ち込んでしまったよ」と話していた。
未だ機械は人の心を読むことが出来ない。日本語でも同じ珍文が出来上がるかも
知れない。
ワープロは文章全体の構成の変更、推敲、あるいは校正は自在であり、手書きとは
比較にならない機能を持っている。だが、キーボードを叩きまくるうちに、文字が
書けない、あるいは字が下手になることを実感するだろう。
葉書までキーボードに頼り、書いてはみるものの、さすがにこの心の無い文章を
送る勇気が無い。機械の発達、進化は大事な心の退化と裏腹なのかも知れない。
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