ごきぶり日記170
宝籤と信仰
仙台市の中心部は新幹線で分断されている。その東側は穀倉地帯を中心に太平洋
に向かって平野が開けている。西側は奥羽山脈に向かって丘陵が多い。
何も新幹線が路面を分断して走っているわけではないのだが、東西に跨る道路が
極めて貧弱なので、あたかも分断されているように壁になっている。
東側は戦時に大きな空爆を受け、殆ど壊滅に近い廃墟となったようで、復興に
当たっては区画整理が進み、それだけに発展が目覚ましい。
これに対して東側は被害が無く、旧い城下町を思わせる狭い、入り組んだ迷路の
ような道に、昔ながらの店舗が軒を連ね、それはそれで、また落ち着いた雰囲気
を醸し出している。
それにしても狭い。曲がりくねった道には電信柱が我が物顔にはみ出し、歩道も
無い。朝夕はその道に大型バスやマイカー、自転車、歩行者が溢れるから、運転
には大いに神経を使う。タクシーの運転者に取っても難所らしい。近道で東から
西へ抜ける道路はこれしか無いから、いつも混雑している。
仙台の市営バスは市内を縦横に、然も頻繁に走っており、市民の足として重宝
がられている。タクシー会社と台数は呆れるほど多い。そこでつい、このタクシー
群を気楽に利用してしまう。
有り難いことに、企業向けには共通タクシー券が発行されており、星の数ほど
あるタクシー会社の総てにこれが通用する。1枚のタクシー券は5000円を限度
(ついこの前までは3000円だったが)となっており、それ以上の遠距離は何枚か
使えば良い。「東京でもこうだったら苦労しないのだがなぁ」と嘆いても、地域
ならばこそ出来るのかも知れない。
タクシーは、その狭い迷路のような生活道路をスピードを緩めようともせず、
くねくねと走り抜ける。
地元の運転手さんは話し好きである。乗るやいなや話しかけて来る。
何しろこの街で生まれて、この街をひたすら走り続けているのだから、そこら
辺の駆け出しとは違うと言いたいのかも知れない。
「昔はこの辺は・・」から話が始まり、ローカルの歴史を語り続ける。
普段は東京の家を本拠にして1ヶ月に一度、多くても二度しか仙台の家に住む
ことのない私に取って、この時間はまたとない地域社会の勉強になる。
ある日タクシーは、自分でも時々運転して走る路地を通り、更に迷路の路地に
入って行った。これでは遠回りでは、と思うがそこはプロのこと、案外そうでも
ないらしい。
「此処でね。宝くじを売っているんですがね。以前、店番のおばあちゃんが
居てね。その昔はよく当たるんで評判だったんですよ」と切り出す。
「そのおばあちゃんと握手をすると大当たりすると言うんで、並んで握手を
して貰うんだそうですよ」
寄る年波か、ある時からそのおばあちゃんの姿が見えなくなり、娘さんらしい
中年の女性が変わって店番をするようになったという。
ところがパタッと当たり籤が出なくなったそうで「でも、あの人も何か血の
つながりがあるんだから、その娘さんと握手しても、なんぼかは効果あるんで
ねぇかや?と話しているんすがねぇ」
仙台は殆どが標準語で生の仙台弁は仲々お目に、いやお耳に掛からないのだが、
土地っ子の運転手さんには生粋の方言を話す人が多い。
実のところ、始めから終わりまで言葉がよく分からず、ただ、悪いので適当に
相槌を打っていることも珍しく無い。この運転手さんの話は半分以上は理解でき
たので、この話に聞き入っていた。こんな話は東京のど真ん中にもあるらしいが、
地方の、それも旧い街並みの路地で聞けば、こちらも信じる気になってくる。
同じ博打でも株の取引は陰湿である。これからはネット株だというとネットに
絡んだ会社は余程おかしな会社でなければ会社の実体などお構いなく買い漁り、
信じられないような高値をつける。
この辺が潮時と見るや、利食いとやらでどんと売る。下がり始めるとこれを見て
慌てて狼狽売りが出る。
機関投資家などという金持ちが、策を弄して売買をやるから計算通りには行か
ないし、堅実に経営改革をやっている他の業種は、ネットを買う資金のために、
売りまくられて何処までも落ちて行く。
言うならば浅ましい金の亡者が、相手の足下を見て一銭でも儲けようと神経の
休まる暇もなく相克を繰り返すのだが、この点宝くじは極めて天真爛漫である。
当たるも当たらないも時の運、確率の問題だから策を弄する方法もない。
運を天に任せるということは、そこに信仰が生まれてもおかしくない。
縁起をかつぎ、おばあちゃんの手を信じ、幸運を夢見るのだから極めて人間的で
純粋だと言えるのかも知れない。
株で損をして証券マンに噛みつく人間はいても、宝くじが当たらなかったと
言ってねじ込んだという話は聞いたことがない。
“株と宝くじを同列に扱うやつがいるか!”と叱られそうだが、ことほど左様に
宝くじには、夢と信仰がある。この運転手さんの話を聞いてから、生まれて
この方、一枚も宝くじを買ったことのない私が「今度、その店をゆっくり見に
行こうかな」と思うようになった。
世知辛いミレニアムを迎えたからこそ、一枚の宝くじを買って夢を見る必要が
あるのかも知れない。
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