ごきぶり日記152
コンピュータに支配されて
ソフトウェアでは“バグ(bug)”という言葉が使われる。
昆虫とか虫とかという意味であり、その昔、計算機の二進法の計算がリレー
(機械的接点の開閉)で行われた頃、その接点の間に虫が挟まり、計算機が
動かなくなったことから、ソフトウェアの細かい間違いをバグと呼ぶように
なったと言われている。
西暦2000年問題。世界中がパニックを起こさないための対応に追われている。
全世界で、この問題に対応するために要する金は、40兆円とも50兆円とも言われ
ているそうである。
コンピュータは“00”〜“99”まで来れば次はまた“00”に戻るのだから、何も
しなければ1999年から1900年に戻るということは素人にも理解出来る。
この問題の根は深い。1961年からは末尾一桁で表現していたようだから、先行き
を考えたら四桁で表現して置けば問題が無かったことは分かっていたらしい。
だが、四桁では膨大な費用が掛かる。事実、二桁にしたからこそ、その後30年の
情報システムの大きな発展があったという説がある。真偽のほどは分からないが
その時代の都合というものが作用して負の遺産として残されたことは確からしい。
危機管理の甘い日本は特に遅れていると世界中から指摘されているようである。
“日付が狂ったくらいなら”という意識は確かにあったのだろう。受信した
ファックスの日付がおかしい、写真の日付が狂ってしまったという程度の認識
だったとしても、あり得る話である。
膨大で入り組んだソフトウェアのバグというものは、人間が作る以上ゼロには
出来ない。だからこの業界ではバグは設計ミスとしては扱わない。
当然、発生するものということが常識的通念になっている。バグは初期段階で、
ある値まで落とすことが出来る。そこから“バグ潰し”と言って根気よくこれを
探しては修正する。だがこのバグの数は、あるところまで行くと仲々減らなく
なる。つまり、お手上げになるらしい。事実、これを設計ミスとして、PL法を
適用したらコンピュータ、ソフトウェア業界は一夜にして陥没してしまうこと
は間違いないだろう。
だが、この2000年問題は本当に、このバグと同じに扱って良いのだろうか。
基本機能の欠落による欠陥製品ではないのだろうか。この問題に対する日本で
の訴訟はたった一件だけで、未だ判例がないと報じている。
訴訟問題はアメリカでも今のところ静かなようだ。だが、米上院で「2000年問題
訴訟阻止法案」を審議しているというニュースがある。
2000年になって見なければ何が起こるか分からない、つまり、未発症の問題だか
ら、発症したときの対症療法には違いないが、開発途上国などで問題が起これば、
国益に大きく影響することは間違いない。
日本の企業社会は系列、下請などで成り立っているから、末端が未対応でも
大きな混乱が起こる。そこで親企業は、2000年問題未対応なら取引を停止すると
脅す。それでなくとも受注量は激減して経営は火の車、そこへ1000万円前後の
思いもかけない投資が必要になるなど、聞くだけでも人ごとではない。
便利な世の中になったものだと思ううちに、いつの間にか社会の頭脳、心臓、
それに神経までもコンピュータが支配する時代になってしまった。
暫くは電気もガスも無い原始の世界に戻って、蝋燭の明かりの下で備蓄の食糧を
大事に食べながら暮らすのも乙なものか、などという風流は、どうやら通用しな
いようである。
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