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DIARY

ごきぶり日記151

鬼平はいずこに


加藤長治さんから、 ごきぶり日記149「平成の鬼平」について ご感想を頂いた。

このお便りを読み返しながら、人間と云うものは悲しい生物だ、と今更ながら 深く感じる。秋が近いせいだろうか。
鬼平は、研ぎ澄まされた感覚と深い洞察力、決断力に加えて、剣の達人という、 この上ない頼もしい資質を備えて、多くの信奉者を持つが、恐らく最大の魅力は その人間性にあるのだろう。

人を人として扱い、その心に語りかける優しさが、共感の源泉となっているので はなかろうか。そこには悪を憎み、断固として戦う強い意志とその裏返しのような、 人間の寂しさを語りかけるペーソスがある。中坊さんのいう「血も涙もある」処置 がこれに通じている。

一流大学をトップで卒業し、エリートの道、出世街道をひた走ってきた企業の トップは何処かで“人間の哲学”を落としたのに気づくことなく、天井に上り詰め てしまった。加藤さんは「一時の迷いだったと信じたい」と願い、人間だからと 許す気持ちになられている。

時の流れに流される、一時の迷いで大きな過ちを犯す、これが人間の悲しいさだと すれば、なじることも出来なくなる事も確かである。だが、庶民が試行錯誤を繰り 返しながら毎日を過ごしている事とは責任の比重が違う。
だからこそ、万人の中から選ばれ、その地位に着いたのだろう。
それにしては世の中がどうあろうと、自己の人間としての哲学を持ち、これを貫く 鬼平が一人もいないように見えるのは誠に寂しい。

何も金融界のトップに限った事ではない。多くの大企業のトップが同じような過ち を犯している。
地位が上がるに従って取り巻きが増える、そしてあたかも自分の持ち物のように 権力を駆使し、永遠の支配を夢見る。ことわって置きたいが、これらのトップが 利益を自分の懐に入れる行為を行っていると云っている訳ではない。
会社の発展のためという大儀を背負っていることは確かなのだが、その大儀は自分 の会社という狭義の家族を意味し、かつ自分の立場の保全に繋がるというエゴイス ティックな感覚の域を出ていないのである。

ある通産の審議官が、ある大手企業のトップをエゴの固まりと非難していた事を 思い出すが、すでにこうした風潮が経済界に醸成されていたことを指すのだと 思っている。
こうして家族を守るためには、エゴを丸出しにする経営者は、その大樹の元にいる 社員にとってはこの上ない守護神に見える。
だが、結果的には裏切られ、気がついた時は奈落の底に落ちてしまった人たちが 多くいる事も、また事実なのである。

アングロサクソン流が正しいとは云わないが、経営の実権はやがて株主に移る。
大家族の枠の外から経営を監視し、この歪みを糺すことが進んでいる。 大家族が生き残るための淘汰が起こっている。それぞれの企業のトップが鬼平で あるとは限らない。頼って生きる習性から、自分で生きることを考える時期に 至っている。

「ゴールの無いマラソン」「倒れるまで走り続けるのみ」と云われる近代資本主義 の中で、鬼平の心を求める事自体無理なのだろうか。だが、必ず居る。
この際、自分の会社のトップをもう一度冷静に検証してみる時期にあるのかも知れ ない。こうした世の中だからこそ、なお鬼平信奉の火は消えない。

 

 

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