ごきぶり日記123
自己責任
日本版ビックバンは未だ2合目程度だという。その通りかも知れない。
10数年前のアメリカ版ビックバンの時はカリフォルニア生活だったが、ある日、突然に自分の銀行の名前が変わってしまったり、預金の預け入れ方法が大幅に変わり、種類が増え、何を選択したら良いのかよく理解出来なかったりしたが、電話で暗唱番号を叩き込むと現在高、金利まで音声応答で教えて呉れるなど便利なもんだと喜んだことくらいしか感じなかった。
金融業界の淘汰、整理、連携、統合が激しかったことは確かなのだが、アメリカは元来がこんな競争社会だから、一般生活には直接の影響はなかったのかも知れない。
だが日本はよくいう護送船団方式に代表される画一的な管理社会だったのだから、これが根底からひっくり返るとどんなことが起こるかなどという一般認識はなかったということは確かである。
実は農協救済であったという6800億円の時は騒ぎになったが、1兆数千億円の大手銀行横並び注入の結果は銀行に吸い取られただけだったり、注入後にすぐ潰れたりして何処かへ行ってしまった。何とも勿体ない金の使い方だが、そんなことも試行錯誤の中にはあろうかとあまり政府は攻められていない。
ようやっと金融安定化法のバックボーンが整ったとは云いながら今度は7兆円。
こうなると金銭感覚を失いそんなに真剣に監視しようという空気も無いようである。
日弁連が昨年3月に「日本版ビックバン(金融制度改革)に伴う消費者保護政策についての意見書」を出している。要は消費者保護方策をなおざりにしてこのままビックバンが進むと消費者の様々なリスク増大をもたらすと後手に回っている保護政策の警鐘を鳴らしていたのである。
「走り出してから考えよう」式のビックバンだから後手に回っているのは消費者保護に限らないが、案の定、金融商品の被害者が続発している。以前も書いたが、「お客さまは銀行のやる事なら間違い無いと思っておられるので、金融商品の看板は出すものの積極的にはお勧めしていないのですよ」という、ある地銀幹部の話が日本の一般的な実体を表している。
すべてが政府、大蔵省の保護下で取り仕切られて来た日本の社会にある日突然に、これからは自己責任でやれと云うのは何とも無責任である。投資信託が良い例だ。
証券会社が下剋上の危機に直面してなりふり構わず生き残りを掛けて売り込むのだから、「投資信託というものは銀行預金と違ってリスクがありますよ」となど云うわけがない。お年寄りなどはうまい話だけを表にだして説得されたら、いちころなのである。
これでは詐欺商法すれすれということになる。日本版401kの導入にも同じ問題がある。これとて企業の生き残りのために突然に永年の生活設計を根底から覆される。勉強してもよく分からない、あるいは出来ない弱者は自己責任の美名の元にどんどん淘汰されて行く。
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