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DIARY

ごきぶり日記119

余生とは何だ


「余生を楽しむ」という言葉がある。

人間の一生を区切って生き方を確立することは重要なことに違いない。だが、これは 人それぞれの内面の問題だ。最近は企業がこの「余生計画」「ライフワークプラン」 などと称して定年後の生き方を強制的に考えさせたり、計画のサンプルを示したり している。

企業は教育という名の下に社員を計算された会社の歯車として枠にはめて育成する。 そこには終身雇用、年功序列という魅力的なバックボーンがあり、安心して企業に 人生を託すことが出来た。定年後未だ働きたいという人は数多い系列会社にその地位と 働く場所を提供し、この辺でゆっくり過ごしたいという人には養老院風の余生を楽しむ 場を提供する。これがサラリーマンの人生設計だったといっても間違いはない。

やがて永遠に続くと思われたバブル時代も終焉を迎え、考え方が180度転換する。 各企業とも50歳以上の遊休人員を首切りを口にしないで何とか減らしいと躍起になって いる。こうした日本的な巨大システムの中で何十年も過ごして来た人たちに取って、 突然に別の生き方を考えろと云われたって「今更何を」というのが実感であり、何とか 定年までしがみつこうと考えるのはごく自然である。
前にも云ったように余生とは主観の問題であって定年後が余生であるなど誰が決めた のかと思う。

人間には余った人生、余計ものの人生などある筈がない。仮にそんなことを口走っても 本心でそう思う人は少ないのではないか。それもこれもあまりにも鋳型にはめた潰しの 効かない人間を作り上げてしまった事に対する懺悔か罪滅ぼしのように思えてならない。 「会社の事はすっぱり忘れてこれからは趣味に生きる」のは良いことだ。だが、なんだ か刑期を終えて新しい人生を生きようという話を連想するのはひがめか。

朝日新聞夕刊に「定年わっはっは」というコラム欄がある。
1月16日(土)の山崎晴之(75)さんの投稿を無断で引用させて頂く。

「海運会社を60歳で定年になったとき考えた。退職した人が大体、三、四年で健康を 害し
ている。これは“生活が変わるせいだろう”と。機関士だったから機械が好きで 定年後には
機械づくりをしようと考えていた。友人の会社の二階を借りて小さな会社を 作り、毎日弁当
を持って通勤する事にした。(中略)今まで四十年にわたって蓄積して きた私の技術を縦横
に使い、大もうけの夢を見続ける事は楽しいので一生この仕事を 続けてゆくつもりだ。
仕事はいかによくやっているか見せるゼスチャーだけとし、自己 責任を逃れる事に専心し、
社長の機嫌取りや同僚に気を遣い、酒とマージャンとゴルフ に付き合わねばならなかった
生活を離れ、今の生活に本当に満足している」。



技術者だったからこんな幸せな転換が出来たのかも知れない。自分の生き方とスキル アップと人生の中心に据え、業界を一つの就職の場として転々と会社を変える欧米人 ならこんな転換は当たり前なのだろう。

「国破れて山河あり」これから国や会社にぶら下がらない生き方がどんどん生まれて来るのかも知れない。

 

 

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