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DIARY

ゴキブリ日記97

東京ぶらり散歩(2)


「麟祥院(りんしょういん)」あまり馴染みの無い名前かも知れない。

第三代将軍、家光の乳母(めのと)として権勢を振るった春日局(明智光秀の重臣、斉藤内蔵助利三の娘、お福)の御廟所である。

湯島天神から数百メートルも離れていない。時の御門から局(つぼね)の官位を貰った春日が、此処に眠っているとされる。
最も湯島の天沢寺とか、神田麟祥院という説のもあるので、本当かどうかは定かではない。

奥まった一角に一際、大きなお墓がある。そびえ立つ墓の天辺には、蓮華の台座に太く短いすりこぎ棒のような墓碑が乗っている。
何が書いてあるわけではなく、真ん中と左右に大きな穴が空いている。
何の意味か誰にも分からない。明治大学の先生が「あまり重いので、この穴に棒を通して運んだのではないか?」と冗談を言っていたとか。
とにかく、お福は進んで将軍の乳母にと、自分を売り込んだ相当強引な女性だったらしい。何故か入り口に「東洋大学発祥の地」の碑が建っている。

此処から足を伸ばして「護国寺」に向かう。豊島ヶ岡御陵は歴代の天皇、皇族のお墓であり一時、解放されていたが、いたずらが多く見学させないようになってしまった。だが、社務所で「ご奉仕に参りました」というと掃除用具を出して呉れるそうである。どうしても拝観したい人はそうして入ってくれとのことであった。

大塚五丁目 不忍通り「護国寺前」信号から大門を潜ると本院(観音堂)、内仏堂、大師堂、薬師堂、月光院(大津、三井寺の客殿を移設した桃山時代の書院作り)、などが立ち並ぶ。
奥へ進むと三条実美(さねとみ−幕末の公卿政治家で太政大臣を勤め、尊攘派として知られる)早稲田の大熊重信、山形有朋、など明治の大物の墓がずらりと立ち並ぶ。
それぞれの墓は一族郎党が取り囲み、門は堅く閉ざされている。秦の始皇帝の兵馬俑ほどではないが、何となくその時代の権勢を想い起こさせる。

護国寺から北へ1kmほど下がると「椿山荘」がある。この一帯は南北朝時代から「つばきやま」と呼ばれる椿の自生する景勝地で江戸の名所であったらしい。
山形有朋公爵が現在の「椿山荘」のある神田川沿い一帯を買い取って椿山荘と名付け、築庭に力を注いだという。東京に現存する三つの古塔の一つ、「三重の塔」などの文化財がいろいろ残っている。

我がふるさと、文京区はまだまだ、見切れないほどの歴史があると自画自賛しながら、また歩く。

 

 

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